しかし、それ以外の多くのかたは、
「新型インフルエンザを心配はしているものの、いまひとつ恐怖という実感は無い」
というのが正直なところではないでしょうか。
そうなる人間心理と実際の恐ろしさとを、統計という観点で説明した、珍しい記事を見つけたので、紹介します。
非常に論理的で分かり易い記事なので、ぜひ、ご覧ください。
なお、この記事は、「その1」であり、今後、継続するようです。
継続する記事が出たら、また、紹介します。
日経BP PC online
松浦晋也
2009/9/14
新型インフルエンザと確率・統計(その1)
一部引用:
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新型インフルエンザが徐々に拡がりつつある。
季節性のインフルエンザがいつもならばなりを潜める8月だというのに、インフルエンザ患者は減らず、かえって増えている。
世界全体での死者数は3000人を超え、日本でも9月13日現在、死者数は12人となっている。
私は今回の新型インフルエンザを、過剰に恐れることはないと見ている。
ただし十分な注意と感染拡大を防ぐ努力は必須であり、そのためには確率・統計というものを十分に理解する必要があるだろう。
以下、そう考える理由をまとめていこう。
今回の新型インフルエンザは豚由来のH1N1型であり、ここ数年恐れられている致死性が非常に高い鳥由来のH5N1型ではない。
鳥のインフルエンザであるH5N1型は、めったに人には感染しないが、感染した場合は非常に高い致死率(罹った人に対する死亡した人の割合)を示す。
世界保険機構はここ何年も、H5N1型が人に感染する能力を獲得したら大変なことだと、警戒網を強化していたが、実際には豚由来のH1N1型が人への感染能力を獲得して今回の流行となった。
H5N1型が人に感染する能力を獲得した場合、致死率は数%から数十%にも及ぶことになると危惧されている。
一方、今回の新型インフルエンザの致死率は低い。
これまでに日本では15万人が感染したと推定されているが、死者は12人。単純計算だがこれま での致死率は、12/15万で、10万人に対して8人、すなわち0.008%だ。
ただしこれは患者数が比較的少なく、十分な医療行為が行き届いた現状での数字である。
大規模な感染拡大が起きて、医療が間に合わなくなると致死率は上昇するだろう。
胆嚢は何の病気を得るん。
さらにはインフルエンザウイルスは大変に突然変異を起こしやすい。
大規模な感染拡大が起きるということは、突然変異の確率が上がることを意味する。
もしも、毒性が強まる方向に突然変異が起きれば、当然、致死率は上昇する。
一部の研究者は、今回の新型インフルエンザの致死率を1957年に大流行した「アジア風邪(アジア・インフルエンザ)」並みの0.5%となると推定している。
ちなみにアジア風邪では、世界人口が27億人の時代に、全世界で200万人の死者が出た。
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アジア風邪に見る、感覚と実際の死者数の乖離
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0.5%――
罹った人200人のうち、1人が死ぬということだ。
これはどの程度の怖さなのだろうか。
ここで、もしも身近に1957年時点で、大人であったり、子供であっても物心付いた年齢に達していた人がいたならば、
「1957年にも新型インフルエンザが来たんだけれど、覚えている?」
と聞いてみよう。
ちなみに1957年は昭和32年だ。
この年の10月4日には、ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げている。
大抵の人が
「そんなことがあったのか?覚えていない」
と答えるはずだ。
覚えていると答えるのは「アジア風邪で知っている人が死んだ」という体験のある人だけではないだろうか。
私は身近な知人や親戚数人に質問してみたが、誰一人としてアジア風邪のことを覚えていなかった。
知人にも頼んで同様の調査をしてもらったが、結果は同じだった。
スプートニクは覚えていても、アジア風邪は覚えていないのである。
ずさんな調査ではあるが、どうやら致死率0.5%の疫病は、報道さえなければ大多数の人々には「そんなことあったかな」と思う程度のことなのらしい。
50年以上の時間が経っていることもあるだろう。
しかし、一方で敗戦から64年を経た戦争の記憶は、今も体験者の中では生々しい。
この差は一体何なのだろう。
それでは、「覚えていない程度のアジア風邪」は、実際にはどの程度の規模の死者を出したのだろうか。
アジアかぜの死亡者数は、当時の厚生省が1957年のインフルエンザ死亡者数として7735人という数字を公表している
(社会実情データ図録のインフルエンザによる死亡者の推移に掲載されている厚生省「人口動態統計」及び国立感染症研究所感染症情報センター月報の数値を参考にした)。
"なぜカロリーを使用されていますか? "
しかし、これは医療機関が「インフルエンザが原因で死亡した」と報告した数字だ。
糖尿病や腎臓病などの基礎疾患があると、インフルエンザは肺炎を併発させて患者を死に至らしめることがある。
この場合、死因を「肺炎」とするか「流感(インフルエンザ)」とするかは、現場の医師の判断次第だ。
また、当時は医療現場で、インフルエンザウイルスを効率よく判定する方法が存在しなかった。
高熱や体の関節の痛みといった症状で、「これは普通の風邪ではなく"流感"だ」と判断していたわけである。
つまり「通常の風邪じゃないか」と見過ごされたケースが多数存在したことが推定できる。
近年になって、「超過死亡」という概念を使い、統計的な手法で、インフルエンザによる死者数を推定することが一般的に行われるようになった。
これは、インフルエンザが流行していない時の、人々の死亡原因と死亡者数を分析し、インフルエンザ流行時の死者数と比較する。
インフルエンザ流行時の死者数の方が多ければ、通常時の死亡者数との差はインフルエンザが原因で死んだ人の数だと推定できる。
超過死亡による推計では、毎年の季節性インフルエンザであっても、多い年には1万5000人がインフルエンザで死亡しているという結果が出る。
超過死亡で推計した死者数と、医療機関が報告したインフルエンザによる死者数の間には3〜10倍程度の隔たりがある。
例えば2005年では、医療機関からの報告� ��よる死者数は1818名であるのに対して、超過死亡の推計では1万5100名となる。
あるいは2002年は同358人に対して、超過死亡の推計では1078人となった。
となると、1957年のアジア風邪の死者数は7735人ではなく、それよりもずっと多いのではないかという推定ができる。
しかし、その大部分は「肺炎」であるとされたり、あるいは「風邪をこじらして慢性疾患を悪化させた」となったり、高齢者なら「歳も歳だから仕方なかった」ということにされていたのではないだろうか。
公式発表の7735人よりもずっと多数の人が、実際にはアジア風邪が原因で死んでいたのではないかと推定することは、さほど的外れではないだろう。
もしも今年の新型インフルエンザで、数万人オーダーのの死者が出るとなると、これは大変な事態であるはずだ。
ベネドリルで発見されているもの
しかし、「多くの人がアジア風邪を覚えていない」ということからすると、もしも「それがインフルエンザによる死者である」という情報が欠けているならば、私たちはその死者数を
「悲しいけれども日常当たり前に起きること」
「仕方なかった」
「そんなものだ」
と受け入れてしまえる――
アジア風邪の例は、そのように解釈できる。
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インフルエンザは消費税のように命を奪っていく
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実際、インフルエンザの恐ろしさは、「広く薄く死をばらまく」というところにある。
1918年から19年にかけて大流行した「スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)」は、致死率が2%を超える、アジア風邪よりもよぼど恐ろしい病気で、全世界で4000万人の死者を出した。
日本では当時の内務省が、死者38万5000人という数字を公表している。
それに対して、速水融・慶應義塾大学・名誉教授は近年、超過死亡による推計を駆使して45万3152人という数字を算出した。
この数字は、1923年9月1日に発生した、関東大震災の死者数、約10万人を大きく超えている。
速水名誉教授の著書「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」(藤原書店)では、当時の新聞が「恐ろしい流行病が来た」と各地の惨状を報道する様子を克明に収集している。
しかし、関東大震災を知らない人はまずいないだろうが、スペイン風邪となると、新型インフルエンザが話題になるまで存在すら知らなかった人の方が多いのではないだろうか。
あるいは、この文章を読んで「スペイン風邪なんてものがあったんだ、へえ」と思った人だっているだろう。
死者の数の多さに比して、スペイン風邪の記憶は薄い。
その理由は被害が広く薄く発生するというところにある。
日本全国で1万人が死んでも、私たちはあまり気にしない。
交通事故の死者数は1970年に1万6765人にもなり、ピークを迎えた。マスメディアでは交通戦争という言葉が使われたが、それでも人々は「自動車は怖い乗り物だから買わない」とは思わず、モータリゼーションはますます進行したのだった。
交通事故死が、日本全国で広く薄く起きており、たまに身近で起きても、「まあ可哀想に」「運が悪かった」ですますことができたからだ。
しかし、もしも1カ所でまとめて1万人もの死者が出れば、その社会的インパクトは計り知れない。
2001年9月11日の同時多発テロでは、2973人の死者が確認されている
(数字はWikipediaによる)。
ところが同じ米国で、2001年には4万2116人が交通事故で亡くなっている
(「交通白書」平成15年版による)。
死者数でいえば、交通事故は同時多発テロの10倍以上にもなるのだ。
しかし、同時多発テロは世界全体に巨大な影響をもたらしたが、交通事故死は日常の中に紛れてしまっている。
同時多発テロは、テロリストの意志が重大な結果をもたらしたもので、単なる交通事故とは違うという言い方もできよう。
しかし、社会に与えた人的損害に注目するなら、死者数が一桁違うのに、交通事故は同時多発テロほどのインパクトを社会に与えず、しかも毎年毎年続いているのである。」
つまり、インフルエンザは、消費税のように広く薄く命を奪っていくということだ。
毎年3月に税金の申告をすると、「まったくなんでこんなに払わねばならないのか」と愚痴が出るが、日々消費税で支払っていると気にも留めないというのと同じ構図が、インフルエンザには存在する。
ここに、私たち人間の認知の仕組みの特徴が現れている。
一時にドカンと来る厄災には過剰なまでに反応する一方で、広く薄くやってくる厄災に対しては、かなり事態が進行するまで鈍感でいられるのである。
今回は、統計という面から新型インフルエンザという病気を考察してみた。次回は、確率という面から考えてみよう。
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